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私について
何も自分で出来ないからこそ、どうやれば?って考えてみました。

つなGAる女子営業部 代表の早川沙織です。
自己紹介、とてもとても長くなりましたが、読んで頂ければ嬉しいです。
今後どう展開が変わってゆくか、私にもわかりませんがとても楽しい事が待っている気がします。
是非、お困りのことがあれば一度ご相談ください。
<今までの私>
私は山形生まれ山形育ちで高校まで地元で暮らしてきました。高校卒業と同時に看護学校入学のために大阪にやってきました。なぜ大阪だったかというと、私はどうしても地元から離れたいという思いがありました。すごく田舎だったのでそれがすごく窮屈に感じられたからです。なぜ東京じゃなかったか、、東京は地元にすぐ戻れる距離に当時は感じたからです。すぐ戻れる距離にいると失敗しても戻ればいいやと、思いたくなくて敢えて遠い大阪にしました。あとは、単純にTVで見てる大阪弁や大阪の文化に憧れがあったからだと思います。
そんなこんなで看護学校に入学しましたが、ほぼ勉強はしていませんでした。幼い頃から母の躾がすごく厳しく1人暮らしを始めた途端何かに解放された気がして、何かしても怒られる人はいないので学校に行っても寝てるばかりでいつも試験は赤点でした(笑)その中で1年留年もしましたがなんとか2年生になり、看護学校では2年生になると病院での実習が始まります。私は学校に通いながら卒業したら看護師になるんかーとは思っていましたが、心の底では本当は看護師にはなりたくありませんでした。そんな時に実習で私には絶対看護師になれないと思うことがあり、一応学校は卒業しましたが看護師の道を選びませんでした。
私は新地でのホステスという道を選択しました。学生の頃1年留年した時にたまたまスカウトされて入った夜の世界。若い時って、特に話が上手でなくても適当に笑って座っていれば5時間働いて数万円貰える、それが普通でした。それを19歳で経験してしまった私はそれ以外の仕事が選択肢に全くありませんでした。ただ私は母から離れたことで誰からも怒られることもなく数年過ごしてきたことで努力することを完全に忘れてました。なので、卒業後に新地に行った時も勤怠は本当に最悪でした。なんとなく仕事に行きたくないなと思ったら休んで、接客中も特にお客様を楽しませなきゃ等思うこともなく数年適当にしてました。だけど24歳くらいになった時、これじゃあもう限界だなって思うことがあり真面目に仕事に取り組んでみようと初めて新地に行ってからチャレンジ精神がでました。そこのクラブは以前いたお店より箱が大きく、日給も1日5万円です。なのでお店側もそれだけの日給を払うわけですからホステスに求めるものは今までのお店とは大きく異なりました。それまではマメにお客様に連絡したりだとか接客中の会話も適当にしていましたが、そのお店に移ってからはすごく努力を重ねました。そんなこんなで月日が経ち、26歳の誕生日前、正直私はお酒がすごく苦手でめちゃくちゃ弱いので将来的にずっとこの仕事でやっていくのは無理だとは思ってました。当時お店を持ちたいとかいう気持ちも一切なかったですし、そもそも私にはホステスという仕事で秀でた才能はないやろなって感じてたので26歳の誕生日前にホステスを辞めることを決断しました。
ただこれまでホステスしかしてこなかったので、勿論会社勤めはしたことがないです。ですので、26歳になって就職という考えが不安でたまりませんでした。それまでは100万近いお給料を頂いてたので会社勤めして月給20万そこらの金額では絶対生活できないなと思いすごく悩みました。今思うと本当に世間とのズレが大きかったと思います。
そこで私は何を思ったのか、社長になればお金持ちになれるんじゃない?と、突拍子もない考えに至りました。全く社会経験もなく会社を作りました。今思うと若さのお陰だったなと思います。今この年齢で社会経験もなく会社を立ち上げると思うとゾッとしますが若さ故の決断だったように思います。
ただ勿論社会経験がないわけですから、最初は電話の出方も分からず、マイナス以上からのスタートだったので苦労しました。
会社を始める前は社長になったらお金持ちになれるという幻想は一瞬で崩れさりました。何をやっても上手くいかず、会社の売上がないから給料も出ません。でも自分の名前で会社を立ち上げたからこそ責任感が芽生えたことでどんなにしんどくても給料が出なくても頑張れました。私いつ以来こんなに頑張れてるんやろって、生活的には苦しいのに心は充実感があったように思います。
最初の2年半は本当にいろんな仕事にチャレンジしました。土地の売買、美容器の販売、床下に潜ってシロアリ工事、配水管の洗浄、外壁塗装の営業…ありとあらゆる経験をしました。つい数ヶ月前までは綺麗なドレスを着て1日5万もらっていた生活から作業着をきてドブ掃除から床下など生活は一変して苦しい時期を過ごしてきましたが、人も入ってくれてやっと3年目に会社が軌道に乗り始めて2018年には名古屋と東京にも支店を作ることができました。ただそれも長くは続かず2021年に、その頃は家庭用太陽光と蓄電池を販売していたのですが事情があり信販が使えない状況に陥ってしまいました。そのことをきっかけに、当時働いてくれてた子と話し合いを重ね、会社を継続していくことも考えましたが、信販が使えない事はすごく大きな痛手でした。なので、会社も今辞めたらプラスで終われるし、銀行融資も返済し終えたこともあるし、働いてくれた子もまだ20代で若かったのでもし将来的なことを考えたら早く手放してあげたほうが良いのではないかと思い、一旦会社としての事業をストップさせました。そして昨年に会社の代表者も変えて私は会社から退いています。
でも今はまた20代前半の時のように生きてる感覚が全くありません。それこそ35歳になった今どこかの会社に就職という気にもなれません。
やっぱり私は自分に負荷をかけないと全くやる気がおきないのでまた何か会社をしたいと思っています。
でも正直何をしたいとかが全くなく、今までも目の前にあることだけに必死でやってきたので自分であれがしたいこれがしたいっていうのが分かりません。自分探しの途中です。
<今からの私>
ただ、一つだけ、
何がしたいか、何ができるか、わからないのであればわかるまで悪あがきしてみよう・・・って考えるようになりました。
でも、考えれば考えるほど足らないものばかり思いつく私がいました。
『そうだ!』自分でできない事、自分にないスキルなら人に借りればいい!
いや、自分だけでなく私と同じような思いをお持ちの方がいるなら、人に借りるお手伝いをすればいい!
そう思えば、少しだけ今からの私が見えて気がしました。
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